<自殺>豆腐店営む老母と息子、「先行き不安」遺書残し

 表通りから、「チンチン」という路面電車の音が聞こえる東京・荒川の商店街。老舗の豆腐店で先月30日、男性店主(52)と母親(79)が首をつって亡くなっているのが見つかった。チラシの裏に書かれた店主の遺書に、「収入が減り、先行きが不安」とあった。時代の移ろいとともに商店街はかつてのにぎわいを失い、「シャッター通り」と呼ばれていた。「一緒にやってきたのに」。仲間たちは無念の死を悼む。
 都電荒川線の町屋2丁目駅近く。商店街は関東大震災で焼け出された人たちが集まり、大正後期から発展した。豆腐店は40年以上前、店主の父親が開いた。店主は80年ごろ、20代半ばで店を手伝うようになった。買い物客で込み合う街の中でも、「いらっしゃい」とひときわ威勢のいい声を響かせた。
 80年代半ばからの再開発でスーパーや新しい商業地区が現れ、買い物客が離れ出した。街を活気づけようと電柱に花飾りをつけたのが、若い豆腐店主だった。やがて、閉じたままのシャッターが軒を連ねるようになった。
 豆腐店主は2年ほど前、病気を患い入院した。病院や学校など得意先を失い、「売れなくて困った」と話すようになる。昨年春、近くに28階建てマンションが建ち、住民は増えたが、買い物客は戻らない。マンションの中にスーパーがあった。
 「福引きは、もうやめないか」。昨年末、豆腐店主はそう漏らした。盛り上がらない客寄せ行事はさびしさをいっそう募らせる。そう言いたいのは仲間にも分かった。「お酒と違って、豆腐なら独自商品も作れるじゃない」。酒店の仲間から励まされても、うなだれていた。
 1960年代、東京都豆腐商工組合には3000軒が加盟していた。昨年は992軒にまで減っている。
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 今月初めの昼時、商店街を訪ねた。「うちも息子はサラリーマン。店は私の代で終わりだよ」。創業77年の時計店の男性(79)は言った。
 八百屋の方から声が聞こえた。「食べごろは?」「伊予柑がいいよ」。買い物客と店員のやりとりだった。常連さんらしい。「商店街の良さって、あるんだよ」。店員の男性(61)は自分に言い聞かせるように話した。【長野宏美】

うちの近くにあった大塚豆腐店も最近、廃業になってしまった。マンションが増えて人口は増えるんだけど商店街で買わないからね。そういう人たちは。時代の流れとは言え、悲しい。。