暴発事件を起こしたほうが負け

光高校爆破事件の最終報告があった。
学校内のいじめが事件の背景にあったという。
訳もわからず嫌がらせされ、精神的に追い詰められた結果、窮鼠猫を噛んでしまい、事件に発展してしまったのだろう。
先生はいじめに気が付かなかったのか、気が付かぬ振りをしていたのかは判らない。
友人達は気が付かなかったのだろうか?相談できるところはなかったのだろうか?色々な疑問が湧いてくる。
いじめが原因で大きな事件起きたり、自殺するようになったのは、いつからの事なのだろうか。
私が育った昭和の中ごろにも、学校内にいじめはあったのだろうか?そんな状態にならずに、学校生活を送れたことは幸せな事だったと振り返る事ができる。
無視されている子がいた事も事実だが、誰かが救いの手を差し伸べていた事も事実。
救いの手を差し伸べた子にまで、いじめが及ぶという事もなかった。
会社の中でもいじめが行われている。
家庭の中でもいじめは存在する。
法律の及ばない範囲でじわじわと精神的に追い詰められていく。
法律違反した方が負け。
司法の裁きが待っている。
勝ち負けの問題ではないのだが、社会的な信用を大きく失い、その後の人生に及ぼす影響は計り知れない。
いじめをなくそうと声高に叫んでもどうにもならない。
自分でも、身近な人にもいじめをしない、させない努力を地道にしていく他方法はないのだろう。
他人にされて嫌な事は他人にしない。
嫌だと言われたことはそれ以上しない。
何かを一緒にするときには、充分に話し合ってから行う。
書いてしまえば、そんな簡単な事なのだが、やるのは一番難しい事なのかもしれない。