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弁護士の就職難

http://www.idea-law.jp/sakano/blog/archives/cat52/cat79/

 本日の朝日新聞に、「弁護士の就職難が深刻」という記事が出ていました。就職できた人でもこれまでの勤務弁護士の初任給に比べて低い給料しか頂けないという人も多いと思います。

 法曹関係者には、ある程度予想されていたとはいえ、やはり司法改革が何のビジョンも持たずに行われてきていることがこの事実だけで明らかになっています。

 これまでマスコミは経済界の言い分を鵜呑みにして、「弁護士が足りない、もっと増員させなければならない」と言い続けてきました。日経新聞を10年ほど前から読んでおられる方であれば、日経新聞がさんざん司法の問題として、人員不足を取り上げていたことを覚えておられるでしょうし、他の一般紙を読まれていた方も、弁護士は足りないものだという先入観を植え付けられていると思います。

 しかし、ほんとうに弁護士が足りないのであれば、どうして、これから弁護士になろうとする人たちが就職難に直面するのでしょう。経済界は、自ら弁護士が必要であると主張しながら、リストラによる人員削減方向へと舵を切り、自らをスリム化していきました。その流れの中で、弁護士を雇用していく企業はさほど増加しませんでした。経営ををスリム化していくのですから、常時弁護士を雇用することを避けるのは企業としても自然な流れです。しかし、経済界は弁護士不足の主張を続け、司法改革を迫りました。おそらく、その根底には、弁護士を増加させ競争させれば自然に弁護士費用が安くなるのではないかという、思惑があったように感じられます。さらに、その状況に便乗したのが大学です。

 経済界が、弁護士の大幅増員のためには、法科大学院を導入するくらい思い切った改革が必要だと提言したところ、大学側は、法科大学院でなければ優秀な法律家を育成できないと言わんばかりに、法科大学院構想を推進し、計画もなく法科大学院を多数認可しまくったあげく、基礎的な知識すら不足している、新司法試験合格者を多数輩出する結果となっています(司法試験管理委員会ヒアリング参照)。

 更に信じがたいことに、法科大学院側は、法科大学院への志願者が減少していることを、合格者を増加させないから志願者が増加しないためだと主張しているようです(司法試験管理委員会ヒアリング参照)。

 果たして、そうでしょうか。従来、認可された少数精鋭の法科大学院できちんと法律を学ばせ、卒業資格を厳格に認定した上で、新司法試験を行い、相当程度の合格率で合格させようとしていたのが、法科大学院構想だったはずです。

 ところが、法科大学院を無計画に多数認可したあげく、卒業認定もきちんと行わず卒業させ、新司法試験を行ったせいで、基礎的な知識すら不十分な司法試験合格者を多数産み出しているのです(卒業認定が厳格に行われていれば、司法研修所教官が「基礎的知識不足の修習生が多い」と嘆くはずがありません)。卒業認定をきちんと行えば、新司法試験の合格率もさほど低くはならないはずです。法科大学院の無計画な多数認可と、厳格な卒業認定を行わなかったという2点が主な理由で、法科大学院構想当初予定の合格率より新司法試験の合格率は大幅に下がることになりました。 その結果、貴重な時間とお金を投じても法律家になれるかどうか分からなくなったため、志願者が激減したのだと思います。

 

そもそも、法科大学院にはこれまでの司法修習の前期修習終了程度までの力をつけさせることが目的でしたが、司法試験を受けたこともなく、司法修習に行ったことのない教師が法科大学院に多数存在するため、どのレベルまで教育すればいいかも分からずにいるのではないでしょうか。

 また、翻って考えるに、法律家になる魅力というのは、法律を用いて当事者の問題を解決してあげられるという側面の他、これまでは、法律家になれれば、生活の心配をあまりしなくてすむという点も大きかったのではないかと思われます。

 ところが、今後、弁護士を目指す人の生活面はどうなるのか。

 まず、高いお金を支払って法科大学院に進学する必要があります。

 次に法科大学院に進学しても、きちんとした実力をつけてもらえるかは、未知数です。卒業できるかどうかのリスクもあります。

 なんとか卒業しても新司法試験に合格しなければなりません。

 新司法試験に合格しても苦難の道はそれでは終わりません。

 司法修習生の給与が2010年からは支給されなくなり、貸与制になります。また司法修習生はアルバイトが出来ませんので結果的に借金して修習生活を送らねばなりません。

 そして、借金で修習生活を送っても、2回試験(司法修習生考試)に合格しなければ法律家の資格はもらえません。

 仮に2回試験に合格しても、弁護士が余っているのですから、就職が出来ない可能性があります。運良く就職できても、弁護士余りなのですから新人弁護士の給与は、たいして期待できません。更に次から次へと新たな弁護士が激増してくるので、育ててもらう前に使い捨てられるかもしれません。

 弁護士会によって異なりますが、弁護士登録するだけで50〜100万程度かかりますし、登録後も弁護士会費が毎月4〜5万円かかります。

 

 こうなってくると、もはやお金持ちしか弁護士になれないし、弁護士としてやっていけないのではないかという疑問すら出てきます。また、法科大学院・司法修習・弁護士登録などの費用を借り入れなければならないとすると、相当額の借金を背負って弁護士生活をスタートしなければならなくなる可能性が大です。そのように借金まみれでスタートする弁護士が、現実問題として社会正義の実現のために奔走できるでしょうか。私は(将来的に経済面で安定すればともかく、そうでない限り)無理だと思います。

 

 以上の点から、法律家には次第に魅力がなくなっているのだと思います。法科大学院の先生方は合格率さえ高めれば志願者は増加するかのように考えているようですが、全く現実を見ていないと思います。法科大学院を無計画に認可しまくったあげく、卒業認定も満足に出来なかったため新司法試験の合格率が下がった点、 法律家の本来の需要を見誤って経済界の言うままに司法改革を推進した点は、少なくとも完全な失敗だと私は思います。

 

 このままでは、有望な人材が法律家を目指さなくなり、力量不足の法律家が増加する結果、司法への国民の信頼は、更に失われる危険があります。失われてからでは遅いのです。早急に改革を行う必要があると思います。

2007年09月26日
法科大学院は廃止すべきか?
 法務省のHPに、第34回司法試験管理委員会ヒアリングの概要が、掲載されていたので読んでみました。
 

 内容としては新司法試験の合格者と、旧司法試験の合格者をどのように割り振るかという話がメインのようでした。

 その中で指摘されていたのが、最初の法科大学院卒業後の新司法試験合格者である新60期の修習生について、「ビジネスロイヤー(簡単に言えば金儲け)志向が強い」「実体法(民法・刑法の基本)の理解が不足している」という従前から指摘されている問題点でした。

この指摘だけでも法科大学院制度の失敗は明らかでしょう。社会の多様かつ優秀な人材を含めて、優秀な法律家を多数輩出することを目的とした法科大学院制度の導入により、従前の制度より金儲け志向の強い、質の低下した法曹が多数生まれようとしているのですから。

 つまり法科大学院制度を推進した大学法学部の教授の多数は、自分たちなら優秀な法曹を養成できるはずだ、と実際には教育する実力もないのに過信していただけということになります。

 更に致命的なのは、法科大学院志願者が減少していることです。多数の志願者が競争すればするだけ、優秀な合格者が生じる可能性が高くなります。全国大会1位〜10位の選手のチームと、町村単位で1位〜10位の選手のチームを比較した際に、どちらが優秀かは考えるまでもないでしょう。法科大学院経由での最初の合格者で最も優秀とされる新60期の、司法修習生ですら基本的知識に欠けるものが多いと指摘されているばかりか、現在では法科大学院志願者は減少しているのです。法科大学院は優秀な法律家の卵すら集められない状況になりつつあります。

 この点、法科大学院側の認識は新司法試験の合格率が高くないため、志願者が減少しているのだから、合格者を増加させれば良いというもののようであり、全く現実を見ていない脳天気な認識といわざるを得ません。

 社会人が職をなげうって家庭を犠牲にしてまでも法律家を目指す場合には、法律家になれば一定の安定した収入が見込めなければ、なかなか踏み切れないでしょう。安定した職を失ってまで、家族を将来的に経済危機に陥らせる危険がある職業に転職したいと誰が思うでしょうか。優秀な法律家を広く求めたいのであれば、法律家(特に合格者の大多数がなるであろう弁護士)が魅力のある仕事でなければなりません。

 はたして、合格者を激増させ、就職困難を招いている弁護士の現状が魅力のある状況とは到底言えないでしょう。さらに合格者を増加させて生活困難な法律家を産み出してしまえば、もはや優秀な人材が法律家を目指すことをやめてしまうでしょう。合格者数は真に法律家の需要を見定めて決定すれば足りるはずでしょう。

 法科大学院は直ちに、制度的失敗と自らの能力不足を認めて、廃止すべきです。

 知人の某有名大学の法科大学院講師(弁護士)に事情を聞いても、学生のレベルはがた落ちで、ごく一部の優秀な学生を除いて到底法律家にすべきではないレベルだとのことでした。早急に改めないと取り返しのつかない事態になるかも知れません。