先生の受難

 「先生」と呼ばれる方たちの「受難の日々」が続くようです。前に書いた法科大学院。担当している先生を見ていると、数年前より顔が疲れている。失礼ながら、こちらもあちらも年相応に老けてきただけかもしれませんが、「夏休み」に補講を連発して研究している余裕がなくなってきているようです。ただ、間違っても公の場では口にできない。教育が忙しいから、研究ができないとなるとプロ失格なので、言えない訳ですが、一昔前の司法試験予備校以上に「労働環境」が悪い(予備校の悪口を散々言っていたら、自分がやる羽目になりましたと自嘲気味)。なにしろ相手は朝8時から夜10時過ぎまで勉強ばかりして質問をぶつけてくるので、適当にあやすことが難しいようです。私にはわからない部分がありますが、法学の発想を身につけるまでは、頓珍漢な発想をしてしまうようで、くたくたになってしまうようです。まあ、私みたいなのが相手だと過労死するだろうなと思いますね。前にも書きましたが、社会人の方が筋がいいというのはこういってはなんですが、笑えます。別の分野では全く正反対の評価を聞きましたので。

 医療機関も大変。こちらの勤務条件の悪さは法科大学院の比ではないようです(表現は悪いですが、マッチとポンプの関係?)。話を伺っていたら、産科・小児科を維持するのは都市部ではもはや無理かなと思います。ちょっとした事故でもバンバン訴訟が起きてしまう。それにしても、分娩の際に頭を打ってしまうと(このあたりは専門的な知見がゼロなので表現が不適切かもしれませんが)、癲癇や障害が残ったりすると聞いて、ゾッとします。私の頭が悪いのは、分娩の際に・・・などと不届きなことを考えてしまいます。医師の裁量がどんどん制約されて正月もなく、ひたすら「24時間営業」、それも肉体的・精神的に常に充実した状態でいないとダメとなると、「超人」に近い状態ですね。せめてリスクに見合った報酬をとなるのですが、もうそんな話では若い人は志望しない状態になっているようです。患者の側の医療に対する要求水準は上がっていても、それをサポートする体制が数十年にわたって削られてくると、再生など容易ではないようです。さすがに医者の立場からは言えないようですが、患者が自己管理すべきところまで医師へ責任転嫁する風潮になってきて、どうにもなりませんな。

 おまけ扱いで申し訳ないのですが、信用できないのが「議員特権」を廃止しろとおっしゃる「先生方」。こういう意見はごく少数でしょうが、「先生」と呼ばれる方たちから特権を奪ってゆくと、あるレベルで職責がまっとうできなくなってしまう。社会環境の変化で本当に不要になった特権は手放していただいてもかまわないのですが、それで仕事ができるんかいなと思ってしまう。戦前と戦後で最も地位を落としてしまったのが軍人ですが、その結果が今日の有り様と思うと、ゾッとします。分権的社会への信頼は変わらないのですが、変化を適切な速度に落とす分権的社会外の制度がないと分権的社会は崩壊してしまうのではないかという「寝言」が浮かんでしまいま本業では寿命が許せば、もう少し年を食ってから考えたいのですが、このあたりはトクヴィルの『旧体制と大革命』を読んだあたりから、ずっと喉の奥にしまっています。

 それにしても「中庸」というのはつくづく難しい。雪斎先生が引用されている「「お前がこの国に生れた以上は、国家を愛するに決まっている。が、お前の考えるように考えなくても、この国を愛する者が沢山いることだけは認めるようになってくれ」などというのは、とても共感するのですが、このような方が世論の多数を占めるのは本当に難しい。嘆いてもしかたがないのでしょうが、とりあえずは、理科系の大学2年生あたりが行う微分方程式論を基礎から勉強しなおす日々が続きます。 
posted by Hache at 07:17| Comment(2) | TrackBack(0) | まじめな?寝言
この記事へのコメント
以前にも言及されたことがあったかと思うのですが、Hacheさんからは今の法科大学院はどう見えているのでしょうか。問題など多いのでしょうか。お考えがありましたらお聞かせください。
Posted by やじゅん at 2007年02月16日 23:32

>やじゅん様

私自身は門外漢で、お話を伺っている先生が経済法関係なので、かなり偏っているかもしれません。ちょっと雑で恐縮ですが、ざっとした「印象」です。

(1)修了者の出口
 担当している先生方が一番、頭を痛めているのが修了者の進路です。順当に司法試験合格で法曹界入りができればよいのですが、現実には旧司法試験並みの合格率で、想定していたとはいえ、やはりショックの様子です。公務員への志望変更も生じてくるのでしょうが、公共政策大学院との関係などで二重投資となる部分も無視できないように思います。もっとも、各種大学院が「乱立」している状態なので、法科大学院特有の問題というより、高等教育行政自体のあり方の問題かもしれません。

(2)実務重視から筆記重視
 私の記憶では、初期段階では大学院修了者には司法試験と同等の扱いを行う筈だったのが、現実には旧司法試験を軽くした筆記試験が課され、実務重視の教育とはほど遠くなってしまったようです。これも過渡的な現象かもしれませんが、現実には合格率を巡る競争がある以上、当面は、設立の趣旨から外れた状況が続くのは素人目にはむしろ当然のように見えます。

(3)法学研究科の研究環境
 私の検分している範囲では、法学研究科の先生がそのまま法科大学院も担当しているケースが多く、事実上、「司法試験予備校」の役割をしている以上、研究時間に大きな制約が出ています。外部の者が口を挟むのは憚りがありますが、現状で行くと、研究水準の低下は避けられないと思います。直接的には分野によって濃淡が大きいと思いますが、法の制定・運用・解釈に法学者が公式・非公式に助言をしているようですが、この機能が低下するリスクがあると思います。

(4)法学者の教育能力の向上
 悪い面ばかりを書いてきましたが、法学研究科所属の先生方の教育能力は、例外があるのかもしれませんが、ちょっと驚きます。使っていなかった筋肉をフル活用しているような印象です。ただ、法学研究者養成が厳しい状況になる可能性もあります。

(5)門戸開放
 現状での一番の成果は、記事でも触れましたが、社会人に大きく門戸を開いた結果、法曹に適性のある方が専門家になる確率を高めたというあたりのようです。法曹人口そのものを増やすことも大切かもしれませんが、適性のある方が集まる確率が高まっている(正確な推計はないのですが)可能性があることは望ましいと思います。ただし、既に都市部では弁護士などは供給超過の分野も少なくなく、現行の制度が定着することによって需給の不均衡の是正されるのかは疑問が残ります。

大雑把な印象で、的外れな点も多いかと思いますので、読み流して頂ければ幸いです。