まとめ

【中学時代】
中学入学と同時に友達が出来なくなる。恥という概念。雑談が続かなくなる。芸能人や音楽などの話が多い時期だがこうしたものに疎い自分は浮いてしまうことが多くなる。あまり友達がいないと思われたくなく、また思春期に入ったこともあり他人に相談しなくなりだす。

中学三年のクラス構成が悪く、授業と授業の間の休み時間や、音楽や技術などの移動教室の廊下での待ち時間、主要五教科以外の授業時間などは完全に無法地帯。殴る蹴るは当たり前。制服はいつも靴の跡だらけ。また殴るときに背中や肩を殴ることが多かったんだけど、ドーンとかドコーンという一瞬息が出来なくなるような何とも言えない音が教室中に鳴り響く。中三ぐらいになると大人に近いような体格になっており、やりたい放題で何の規制もかからないために被害者は徹底的に追い詰められる。

数学の教科書を二週間ぐらい取り上げられ、英語と数学については授業についていけなくなった。返せと言っても、うるせぇと威嚇される。技術や美術の時間は作品をしょっちゅう壊され、それをまた一から作り上げるためにもらう内申点が低くなる。講義をまじめに聞きたいにも関わらず、常にザワザワし、漫画やヘッドフォンで音楽を聞くもの、カードゲームをして遊ぶ生徒も。授業中にも関わらず徘徊する生徒も多く、自分の価値観が大きく曲げられた時代であった。

このころよく考えたのはナイフか何かで相手に刺されてしまえば警察沙汰になってよほどいい、というものであった。

内申が足かせになり、第一志望より2ランク下の高校に入る。

【高校時代】
高校に入り一部やっと親しい人が出来たが、同じ中学出身のヤツが自分の中学時代のことを吹聴し、大半のクラスメートに集団無視をされ出す。高校二年の夏、成績低下、元いじめられっこによるネチネチとしたイジメ、休み時間に雑談をしなければならないという苦痛、妹のあんたより人生経験あるんだからね、こいつ絶対結婚出来ねぇよ発言がきっかけとなり、今までたまっていたストレスが、まるでダムの決壊の様に溢れだし、激しい偏頭痛、不眠、視力低下、自殺願望、耳鳴り、眩しくて日中薄目で生活しなければいけない、などの症状が出だし、自分の部屋や地元の図書館にこもりがちになる。
こういうときはいくら必死に何時間勉強しても上手くいかないもので、膨大な時間をかける割には偏差値は一向に上がらないという地獄を見る。
大学受験も上手くいかなくなり一浪後、一度不本意入学するが、やはり嫌だと一念発起。仮面浪人を経て明大へ。

【大学時代】
自己解決するのに限界を感じだし、2000年4月から2001年秋頃まで、大学の学生相談室に人間関係がうまくいかない相談を行う。同時期に加藤諦三の本を読み耽る。あまりに中学高校時代のイジメ話が多く、かつ面接時間が1時間と比較的長時間であったためにカウンセラー(臨床心理士)も耐えきれなくなりついには怒りだしカウンセリングは打ち切りとなる。カウンセリングで得た報酬は同世代に対する恐怖心が和らいだこと、アルバイトをすることができるようになったことである。

【社会人】
失意のどん底にあったが、職を得て働いて行かねばならないという現実がある。NTT系列のIT企業に入社する。
すでにその頃、IT業界はブラック業界扱いされていたが、自分の中には次のようなプランがあった。とにかくまず正社員として働こう、そして3年ぐらいしたら公務員になるか、ロースクールに行こうと。当時は正義感から弁護士になりたいという想いが強かった時期だ。

実際働いてみると労働時間も長くかなりきつく、プログラミングが肌に合わないのか、2,3年で転職を考え出した。ある女社員との人間関係が悪化しだし、怒号や罵声を浴びせかけられたために、不眠・じんましん・うつ状態・アルコール問題などが発生し、休職となる。人事にはもう社内では限界なので転職先を考えたらどうかと言われ、公務員試験の勉強を始めだす。都庁は最終面接で落ち。特別区に合格。入庁となる。

都入庁。現在入庁後6年目。福祉の部署で仕事が出来ないこと、周囲とのコミュニュケーションのとり方などから軽度の発達障害では疑われだす。その後、本郷東大前こころのクリニックに2年ほど通院。WAIS-IIIという検査を受けた結果、院長より“特定不能の広汎性発達障害”と診断される。言語性IQ>動作性IQの差が30以上あるとのこと。

【現在】
職場でも仲間が多いタイプではなく、今まで無理をしてきた反動からか、休みがちである。父親にも、そんな生き方はダメだと諭されるが、ストレスが多くなると休みをいれがち。