等々力駅前で

ひぐち優子たんがビラ配り。可愛い。キレイ。

そういう冷たい視線は当然、マリナーズに入団した直後のイチローに冷たく突き刺さった。アリゾナ州ピオリアで行われるマリナーズのスプリングトレーニング(春季キャンプ)に合流し、ここでチームメートたちと初めて顔合わせした時のこと。笑顔で手を差し伸べてシェイクハンドを求めてくる主力が大半だったが、中には無愛想な表情で目も合わせない選手も少なからずいた。
 実際にこのころ、筆者は現地でイチローについてマリナーズの某選手から「まだメジャーリーグで何の結果も残していないジャ○プのくせに(3年契約の)1400万ドルももらいやがって。日本から来たオマエもヤツのサポーターなのか」と言い放たれている。複数人の他選手からもイチローに関する同じような陰口を何度か聞かされていた。

イチローを認めざるを得なかった

 移籍当初、陰口をたたく一部のチームメートに、イチローはあいさつをしても無視されたり、舌打ちをされたりと今では考えられないような屈辱も受けていたという。メディアに開放される時間が終了した後のクラブハウス内では、彼を偏見の目で見る一部の選手同士が本人の見える前で輪になって集まり、ヒソヒソ話をするシーンも時に見受けられたと聞く。
 つまり、その一部の選手たちはクラブハウス内に大勢集まっていた日本のメディアが立ち去るのを確認してから、一部始終を報道されないように見えないところでイチローに姑息な嫌がらせをしていたのである。まだ英語が満足に話せず自分が日本人であることで、この入団当時のイチローは陰湿な「イジメ」を受けていたのだ。

 そういう意味で同じチームメートに日本人メジャーリーガーの先輩で「大魔神」ことチームの守護神・佐々木主浩氏が在籍していたことは、かなり精神的に助けられた部分もあったようだ。それでもイチローは佐々木氏やチームに属する他の日本人スタッフに頼り切るようなことはせず己の力だけで、この窮地を乗り切っていった。ピネラ氏は、次のように言う。

 「スプリングトレーニング終盤になってくると、選手たちのイチローに対する接し方に大きな変化が現れてくるようになった。練習やオープン戦でウワサに違わぬ能力を見せ付けるイチローが徐々に本物であることが分かってきたからだ。そしてシーズンが開幕して、あの快進撃を見せられれば、もう誰だって彼にひれ伏すしかない。私は一部の選手が入団当初のイチローに否定的な考えを持っていたことも、もちろん知っている。でも、そんな一部の選手たちも最終的にはイチローを認めざるを得なかったんだよ」

 結果としてイチローは、このメジャー1年目の2001年シーズンで打率3割5分をマークし、ア・リーグ首位打者に輝いた。小バカにしたり、嫌がらせまでしたりしていた一部のチームメートたちを実力で黙らせた挙句、あっと言う間に「キング」へと伸し上がったのだ。前出のディブル氏が同年のシーズン終了後にほぼ自身の公約通り、真冬のタイムズ・スクエアをパンツ一枚で5分間ほど走らされるハメになったのも、米国内の反イチロー派を一斉にシュンとさせる形になった。

●自分を“安売り”しなかった

 イチローのスゴいところはチームメートたちに最初から自分を“安売り”しなかったことだ。精神的に弱い人間はのけ者にされると、どうしても相手に許しを乞うたり、頭を下げたりして仲間に入れてもらおうとする傾向が強い。

 「私も、そういう選手をメジャーリーグの世界で何人も見てきた。しかしながらイチローは違った。それどころか彼は自分に一切の妥協を許さず、ただ野球で結果を出せば必ず流れがいい方向へ傾くと言い聞かせたのだ。驚異的な打撃や守備、走力などの技術面で周囲を納得させることができたのも、そういう彼の強い精神力があったからこそ。イチローのようなスーパープレーヤーはもう今後二度と現れないと思う」とピネラ氏は締めくくった