社会貢献うたうIT経営者の偽善――過労自殺が語る業界の労働事情

あなたには1カ月で159時間も残業をする生活が想像できますか。毎日午前9時に出社し翌日午前1時半に退社して、その7時間半後にまた会社に来ていることになります。毎日こんなことを続けると人間はどうなるでしょうか。


 過労死はもう死語になったかと思ったらそうではありません。いまだに過労を苦に自殺してしまう方がいる業界があります。それは生き残りがかかっている古い業界ではなく、なんと「変化」と「効率」を謳(うた)い文句にしているIT業界です。


 7月12日、労働基準監督署が某大手IT企業の28歳の社員が2002年に自殺したのは過労が原因だと6月30日付で認定していたことが判明しました。自殺する直前1カ月の残業時間が159時間に上っていたそうです。


 プロジェクトの完成期限を守らなければならない圧力と顧客のクレームなどに1日平均16.5時間も圧迫されながら会社で過ごすことはどんなことでしょうか。28歳という若い年齢でなければ精神的に追いつめられる前に肉体的な限界がくるでしょうが、そうでなければその分生き地獄です。


 私ならとっくにその会社を辞めていると思います。しかしながらその青年は苦痛が忍耐の限界を超えた瞬間に、残念な選択をしてしまったのでしょうか。

今回明らかになったケースは氷山の一角に過ぎません。IT業界を知っている人なら誰でも分かりますが、日本のIT業界は本当に労働条件が悪いのです。本来、ITは人間の作業の手間を減らして、その分人々を幸せにする技術のはずです。それを売り物にするIT企業が、自分の社員を幸せにできないとはどういうことなのでしょうか。


 このような現状を招いている原因の一つに、日本ではシステム開発のコスト計算にいまだに人月モデルを用いていることが挙げられます。システムを開発する際に、何人で何カ月かかるかを計算し、それに単価をかける仕組みです。この方法はもともと製造業で使われていた方法でしたが、そのままソフトウエア開発にも採用されたようです。


 肉体労働の場合は確かに時間単位でこなせる作業量は人によって大差が出にくいもので、人月でコスト計算をするのはわかります。しかし、小説や映画が決まった人数と決まった時間をかければ必ず良いものができるとは限らないのと同じように、知恵とアイディアの固まりのシステムは人数と時間で評価できるわけがありません。

 しかし、日本のシステム会社はなかなかこの問題から脱出できないでいます。そして、アイデアと発想力ではなく、時間と人数で勝負するIT企業が増殖しています。想像力を発揮するはずの開発者は延々と作業をこなす単純労働者になり下がり、経営者は労働者を派遣するブローカーに甘んじてしまいます。この結果、日本にはマイクロソフト、オラクル、グーグルのような独創性を持つIT企業が誕生し難い状態にあります。


 なによりも、日本のIT業界は大変暗いイメージを背負ってしまい、優秀な人材が集まらない傾向にあるのが問題です。その象徴的な出来事としては、東京大学の情報学科が不人気で2、3年前から定員割れしているそうです。


 この現状を食い止める方法があります。それは労働時間の長さで差をつけられないようにすることです。労働時間を平等に8時間に制限しておけば、作業量に対して人月数を積んでいくモデルは崩壊します。これは極端な案かもしれませんが、少なくとも当局によるいっそうの過剰残業の取り締まりと社員の内部告発を期待したいと思います。


 残業を放置する経営は基本的に違法行為であることをもっと周知すべきです。社員の健康と家庭生活を害するような残業を認めながら、「社会貢献」や「雇用創出」など立派なことを語る経営者はIT業界にたくさんいます。これらの偽善を止めさせる世論作りも大切だと思います。


 もちろん経営努力をしない限り、残業は減ることがないと思います。ソフトブレーンでは5時半になると強制的にフロアの半分の電気を消し、社員の退社を促します。無許可残業に罰則を科します。それでも利益を出し、競走に勝つことが我々の真の挑戦であり、社員のモチベーションとロイヤルティーにもつながります。


 私は講演会でよく残業を批判するので、たまに「残業してももうからないのに残業を止めたらどうなるのですか」との反論をいただきます。私はそれに対して「残業しなくてももうかる経営こそ王道の経営です」と答えます。「残業をしてももうからない会社を存続させて誰のためになるのか」。その点をよく考えるべきだと思います。

http://it.nikkei.co.jp/business/news/index.aspx?n=MMITzv000020072006

えぇ、知ってます。だから来月から年休使いまくって辞めます