大勝軒 つけ麺発祥の店、46年の歴史に幕 東京・東池袋



つけ麺(めん)発祥の店として知られる東京・東池袋の「大勝軒(たいしょうけん)」が20日、のれんを下ろす。再開発による立ち退きで半世紀の歴史にピリオドを打つ。「おやじ」と慕われた店長、山岸一雄さん(72)の人柄と味に魅せられたなじみ客が連日100メートル近い行列を作り、最後の味を惜しんでいる。
 大勝軒は1961年創業。カウンターとテーブル計16席が小さな店内にひしめく。客のお目当ては、山岸さん考案のつけ麺(現在650円)だ。東京・中野のラーメン店で修業していた17歳のころ。出前で忙しい同僚が麺を、スープやしょうゆなどを入れた湯飲みにつけ、かきこんでいるのを見てひらめいた。
 自分の店を出し、「特製もりそば」の名で1杯40円で発売。甘酸っぱいつけ汁とモチモチした食感の麺でたちまち人気に。74年に静脈瘤(りゅう)で両足が不自由になり、出前をやめたが、近所で働く得意客が「おやじが作ってくれれば、おれたちが運ぶ」と自ら取りに来てくれた。その習慣は今も続く。
 一緒に切り盛りしてきた妻二三(ふみ)子さんが86年死去。あまりのショックに店を閉めたが、店頭に張り出した休業お知らせの余白に、なじみ客が次々と再開要望を書き込み、7カ月後に復活した。
 2年前にも体調も崩し地域の再開発も重なったため、「ここが引き際」と閉店を決めた。この数日、客が次々と訪れ、最長5時間待ち。代休を取って駆けつけた会社員、斉藤一敏さん(42)は「開店前に店の中に入れてもらってビールを飲んで待っていたのが懐かしい。本当に残念です」。
 山岸さんは、客に贈る色紙に「麺絆(ばん) 心の味」としたためる。のれん分けした店は北海道から沖縄まで全国に100近く。「弟子は子供と同じ。落ち着いたら、子供たちの店をゆっくり回りたい。それがおやじの役目だからね」と大きなおなかを揺らせて笑った。【三木陽介】

ここの店は入ったことないけどよく知っている。大塚にある高校から歩いて池袋によくみんなで行ったときに通ったもんだ。なんでこんな変な場所にあるこんなボロイラーメン屋に人が並んでいるのか不思議だったが、その頃からわりと有名な店と周囲では評判だった。

サンシャインの裏にある割にはここの一区画だけ昭和20年代、30年代のまま止まっていて、ある意味、異様な感じ。言葉は悪いが日雇い労働者の街"山谷"みたいな雰囲気なんだよ。大阪のあいりん地区とかTVで特集されるがあんな感じ。

当時の自分的には入ろうとか思ったことはないですね。ここの店の姉妹店がうちの地元にある。ちょうど池袋に向かう明治通り沿いなんだけど。そっちは相変わらず営業中なので、今度、話のネタ目的で行ってみるか。