少年犯罪をめぐる不思議


平成12年6月1日
  校長 小川義男
http://www.sayamagaoka-h.ed.jp/pta/pta3.htm

同級生に対して五千万円を恐喝したというのだから、少年犯罪という埒(らち)を越えている。他の事件でも、殺害、暴行は珍しくなく、中には女子中学生が加わったケースさえある。時代が変わったなどと言ってはいられない。我々の教育姿勢のどこかが、根本的に間違っているのである。
 不思議なのは、悪質少年犯罪に対するマスメディアの態度である。五千万円を恐喝して遊興に使ったなどというのは、天人ともに許さざる所であり、厳しく指弾されてしかるべきである。しかし新聞報道は、相も変わらず、「何がかれらをそうさせたか」という姿勢に終始している。読み終わると、悪いのは恐喝グループではなく、彼らをそうさせた親や学校、彼らの豪遊を知って止めなかったタクシーの運転手だったような気にさせられてしまう。「悪いのは少年ではなく、社会や国家」なのである。犯人共は、「やっぱり今度も俺たちをかばってくれた」と、世の中を舐めきっているのではあるまいか。
 この犯罪者共を、少年であるからと言って屈折したかばい方をするのではなく、少年なるが故に一層厳しく非難、罵倒すれば、その時初めて彼らは、罪の重さに気づくであろう。
 今や悪質少年は、自分たちは、人を殺しても絶対に厳罰に処せられることはないことを確信して犯罪を繰り返している。江戸時代の武士の「切り捨てごめん」すら、評定所の厳しい吟味にかけられたというのに、犯罪少年共は、その武士も及ばぬ我が儘を恣(ほしいまま)にしている。これはすべて、「国民精神衰弱」の表れだと私は思う。そして、このような大人の側の精神衰弱こそ、少年犯罪多発の本当の原因だと思うのである。