以下の文章は名文である

小学生の頃はそうでもなかったけれど、中学、高校と、不良の生徒たちに、結構いじめられた。また、社会に出てからも、「昔は不良だった」という社員から、かなりいじめられた。

彼らは「反撃できない人間」を察知する能力に、非常に長けている。また、不器用な人間、穏やかな人間を見つける能力も、かなり高い。

私は彼らにいじめられてきたので、彼らを称揚するようなことはしたくないのだが、いざ社会に出てみると、彼らが非常に社会に適応していることを知って、少なからず驚かされる。

まず、「元不良」の人たちは、仕事ができる人が非常に多い。以前、ある工場で働いていたとき、元不良の人と組んだのだが、彼の作業は非常に手際が良く、効率的だった。主任やベテラン社員などと比べても、この「元不良」のほうが、はるかにいい仕事をしていた。

また、仕事に集中できる人がかなり多いのも事実である。それが不良特有の「根性」なのかは知らないけど、とにかく「やるときは、やる」という人が非常に多い。こちらが話しかけるのも憚られるほど、作業に集中する。これは工場に限らず、寿司屋で働いたときも感じた。

不良の多くは、「頑張るべきときに、頑張れる」という、極めて優れた能力を持っている。「頑張るべきときに頑張れる」というのは、かなりすごいことである。世の中には「頑張れない人」もいるからである。

かくいう私も、頑張るべきときに頑張れない者のうちの一人だ。二十四時間、三百六十五日時間がありあまっているのに、何一つ結果を出していない。これだけ時間があれば、語学をマスターするなり、難しい資格を取得するなり、何かできたはずである。だが、私はほとんど何もしてこなかった。明らかに、不良たちは、私より優れた資質を持っていたのだ。

また、不良たちは、社会に溶け込むのがとても上手い。人間関係の輪に入っていくことに、とても慣れている。入社して一ヶ月経っても「お客さん」のようにしか振る舞えない私からすればびっくりするぐらい、周囲に簡単に溶け込んでしまう。これは文字通り、驚くべきことだ。