日本人より韓国人に“手厚い”摩訶不思議な日本の支援

産経新聞 9月21日(日)13時30分配信

産経新聞の連載小説『アキとカズ』は、昭和34(1959)年8月13日、北朝鮮への帰国事業を正式決定する、日朝赤十字間の帰還協定がインド・カルカッタで調印されたころの東京に舞台を移している。

 現在の日朝協議で調査の対象となった、いわゆる日本人妻(夫)が最初に配偶者や子供とともに北へ渡ったのは今から55年前のことである。その数、約1800人。当時、20代だったとしても現在は70代、80代になっているはずだ。

 日本とは比べものにならない厳しい北の生活に耐え、生き抜いた日本人妻はいま、どれぐらいの方が残っているのだろうか? また今回、北朝鮮では日本人妻の子供や孫まで調査対象にされているというが、もし、子や孫までが「日本へ行きたい」と希望すれば、日本政府はすべてを受け入れるのだろうか? 

 ほとんどの日本人妻は親類縁者との関係がとっくに切れている。ならば政府が“背負い込む”覚悟や体制はあるのか? そもそも、その世代まで日本政府が面倒を見る必要かあるのか? 突っ込んだ議論が行われた気配はない。

 前回、コラムに書いた「サハリン残留韓国人」問題では、日本政府は「法的責任はない」と強調しながらも、自虐的な日本人の“ウソのプロパガンダ”にあおられ、韓国など諸外国との軋轢(あつれき)を恐れた揚げ句、根拠なき「人道的支援」を余儀なくされてしまう。しかも、日本の支援対象には“日本とは何の縁もない”戦後、大陸や北朝鮮から新たに樺太(サハリン)へ渡ってきた朝鮮人(族)までが紛れ込んでいたことは、すでに書いた通りである。

 樺太→韓国への永住帰国、一時帰国の旅費・滞在費。いったん韓国へ永住帰国した人が、樺太に残る家族に会いに行くための費用…。永住帰国者の住居として韓国に建てたアパート群。樺太の公民館やマイクロバス。さらには、医療、ヘルパー代に至るまでまさに“至れり尽くせり”の手厚い支援はこれまでに約80億円に上る。

 日本がせっせと支援を続ける彼らは「本当に帰りたかった1世」ではなく、子や孫の2世、3世が主体になっている。ロシア語しか話せない彼らにとって韓国とは、単なる父祖の地に過ぎない。日本のカネで韓国に建てた永住アパートを“別荘代わり”に使い、“買い物ツアー化”が指摘されていた樺太−韓国の旅費をなぜ、日本が支援しなくてはいけないのだろう。

 ところで、樺太には戦後、朝鮮人だけではなく「日本人」も残されていた。民間人による熱心な運動が固い扉をこじ開けて、帰国への道を開き、後には政府が支援に乗り出す−。ここまでは、サハリン残留韓国人問題と同じである。

 だが、日本の支援内容は、残留日本人よりも「残留韓国人」にずっと厚い。国民の支援よりも、「韓国などから文句を言われないこと」を優先する、とでもいうのだろうか?

 おかしな点の数々…。今後『アキとカズ』の物語の中で明らかにしてゆきたいと思う。(『アキとカズ』作者、喜多由浩)