体験的エンジニア論

世間ではよく「プログラマ」とか「エンジニア」とかいう人種は特殊なある種の「おたく」のような人種と信じられている向きもあるようだ。たしかにそういう人たちもいる。

 講師の神戸時代の友人で優秀なプログラマであったが三〇代半ばで身も心もぼろぼろになり、生活保護でかろうじて生きているという男もいた。彼など明らかに「コンピュータ」という魔物に生きる精気を奪われたとしか思えない。

 確かにプログラミングという仕事は苛酷である。納期を切られてもそれまでにできるかどうか、さっぱり計算ができない。バクがあれば通常業務時間帯は作業できないので、誰もいない深夜の一人作業になることが多い。しかもそれが何日も何週間もつづく場合もある。これで気が狂わなければおかしい。

 講師の周辺でも都会で体を壊して田舎に帰ってきたという若い人の中に、明らかにコンピュータ作業のやり過ぎで心身の不調をきたしたのではないかと思われるケースが結構ある。

M君の例。30代前半。エンジニアとして民間勤務後、講師も勤務していた学校法人に採用された。当初はまともであったが、半年、一年とたつうちに変調をきたし「うつ状態」に。2年過ぎるあたりで退職、再び失業状態に。その後、ある講演会で再開する機会があったので「私の仕事を手伝う気はないか?」と声をかけてみたが労働意欲は完全に失われていた。

 S君。やはり30代前半。こちらはコンピュータ関係の会社で体を壊し、但馬に戻ってきた。どうしたらよいかと、知人を通じて相談を受けたので「10年〜20年はコンピュータとまったく関係のない職につきなさい。その上で40才なり、50才なりになって、またこの業界ではたらきたくなったら、そして能力的にまだ衰えていないならこの業界に戻ってきなさい」とアドバイスした。講師はこのコースをたどった。
 S君もたまたま講師が教えにいっている職場であった。コンピュータ整備の仕事についていた。年末の忘年会で面会する機会をえたが、明らかに既に目がすわっており言動もおかしい。そして直属の上司はじめ同僚もそのことに気づいておられたようだ。その後S君も退職。

 2人の例で共通しているのは、他者とのコミュニケーション能力が不十分であること。相手の言うことをよく聞かない。むやみやたらと大声で自己主張する。目がすわっている。同席していた女性たちは明らかにおびえていた。
 人間的共同作業ではなしに、機械との「対話」だけの孤独な作業に終始すれば30代あたりでこういう事態になるのだろうか?ちなみに「プログラマー30才定年」説もあった。
 講師もかつて若いころ、自分で「異常になりかけている」「このままでは自分が壊れる」と自覚できたからこそ一時的にこの業界を離れたことがある。