不登校できるもなのならしてみたい

不登校と受験 上
この春、中学時代を不登校で過ごした長男が地元の国立大学に合格して家を 出ることになりました。中学校の間は市の教育相談室でほとんどを過ごし、高等学校は県立の通信制に入り、二年目からは活き活きと学校に通うようになり、全日制の高校同様に三年間で卒業しての大学進学です。そして、次男も希望の高等学校になんとか滑り込めました。二人の息子を通して、不登校の意味を受験という視点で考え直す機会をいただいた気がします。不登校であっても、義務教育である小学校・中学校は、各種相談室などをうまく使えば、なんとか卒業できる環境が整ってきました。しかし、試験を受けての進学には非常に高い壁があるようです。特に中学校での不登校となると、高等学校への進学に関しては、よほどの努力がない限り大学進学を掲げた高等学校への入学は無理のようです。地域の低いレベルの高校または定時制通信制の高校となります。次男の高校進学の取り組みを見ていても、内申がいろいろなところで取り上げられます。学校に行けないということは、その内申が非常に悪いことになります。
さらに、勉強に関して、学校での配布物資料や教科書などは、独学を前提にしていないため、非常に内容が浅く、受験を目指す仲間に追従することは難しいことです。ただ、今の時代、お金はかかりますが塾での学力アップは無理ではありません。しかし、不登校という心理状態を考えると、塾に行けばなんとかなるという考え方には無理があります。我が家の場合は、中学が不登校でも行ける県立の高等学校があり、そこでのメリットとリスクをお互いで認識しあって決定しました。そして、そのリスクをいかに回避していくかを一緒に考えました。それは、家族として受験への本格的な取り組みへのスタートでした。

不登校と受験 中
家族で納得しての高校進学、息子の気持ちには大学進学がすでにありました。
しかし、進学する高校は通信制であり、多くの学生が大学進学と言うより、高校卒業を目指しています。目標はあっても具体的なところは試行錯誤で取り組むことになります。3年前の高校受験では、大丈夫といわれても本人は不安になります。本格的な高校受験勉強は、試験の少し前からようやく始めただけに、試験当日はかなりの緊張状態のようでした。受験者のほとんど全員が合格できる通信制高等学校に無事合格できました。しかし、最短3年で卒業するために、毎回のレポート提出と週一回の片道2時間半の通学は厳しいものがあります。
学校に慣れ、学校が楽しくなることで、大学受験に向けてスタートを切ることができました。特に大学を目指す数人の貴重な仲間と巡り会えたことは大きな励みになりました。全くの偶然か、その仲間とは部活・学校行事でも強いつながりができ、受験直前の夜遅くまで部活を楽しんでいました。こうして、学校生活を楽しめると同時に、人と人のつながりを一層広げることができました。
この勉強以外の環境が長い受験にとっても意味がありました。ところで、具体的な取り組みは、高校受験時から始めた英語の塾は続けながら、本格的な大学受験対策の開始は受験前年のセンター試験を自ら解いた2年生の2月からになります。大学受験を目指す生徒がほとんどいない中、授業とは別に、通信講座と自力での勉強は”ため息とぼやき”の連続でした。毎回の模擬試験で最低の判定の連続では、息子の態度もわかる気がします。気分転換を図りながら、ようやく試験前になって努力の成果が見えてきました。その後、自らが、家族はもとより、学校の先生をFAX・メールで巻き込んでの粘り強い追い込みをしました。特に最後の試験となる第一希望校では、前期試験の結果が出るまで、後期試験に向けて遠い出身高校に論文指導を受けに出かけていきました。実際に論文試験を受けるには至りませんでしたが、受験した3大学中、2大学から合格通知をいただきました。不登校という不利な状況からの大学受験です。本人の努力はもとより、取り巻く環境を整えることが一層大切となります。訳あって学校に行けない時期があったことを考慮して、受験という点数勝負のシステムを、人それぞれにあわせてバランスよく取り込むことではないでしょうか。
こうして考えると、特別なことではなく、人を育てる基本と同じように、個人の状況と周りのシステムの最大価値のバランス点を探すことになります。今の学校にそこまで求められない以上、受験に限らず、各家庭が学校とのかかわりのバランスを真剣に考え直しながら教育に取り組む時期ではないでしょうか。

不登校と受験 下
3月の最初の日曜日、長男の通った定時制通信制の卒業式が行われました。
非常に寒い朝で、体育館は冷え切っています。特に息子の所属する通信制は年齢に幅があり、18歳で卒業を迎える学生はわずかしかいないようです。中には先生よりも年上の方も、また教科によっては先生以上の技能をもたれる方もおられ、卒業写真を見ても、先生と生徒が見分けがつかない方が多く見られます。しかし、卒業までの道のりは決して優しいものではありません。多くの仲間が上の学年にあがれることができず、中には来なくなってしまう仲間も沢山います。それだけに卒業の価値は、全日制の卒業とはまた違ったものがあります。自らを奮い立たせ、自ら学ぶ難しさは予想を超えるものがあります。当日、すれ違ったある在学生が”おれも卒業したかった”とつぶやく声が耳に届きました。答辞の言葉にもこの学校を選択するに至った辛さ、助けあえる仲間とのつながり、そしてこの学校の環境だったからこそ卒業ができた、と、喜びで結ばれていました。卒業生の中には不登校の仲間も多くいます。お互い辛さを時間をかけてひもといていたように見受けられました。息子の場合は、そんな仲間が共に受験に向かうことで、一層前向きの力に結びついたように思えます。高校を卒業すれば、そこからは自らが選んだ道です。大学への入学も色々な方法がある時代で、受験が全てではありません。しかし、大学までの前に何らかの脱線があると、希望校への選択が少なくなることも事実です。そんな中で、希望校を目指すには学力以外の環境の大切さを思い知らされたような気がします。息子も”大学が終着点ではない”と言い切ります。やはり高校での仲間とのかかわりはすばらしかったと思います。