無法地帯

何を今更、なのかな。猛烈に強いなにか(警察とか刑務官とか)が介入しないと秩序が保たれない空間って、今や学校か刑務所か、という感じ。ああ、もう一つあるな、「家庭」ね。

 正直、殺人事件が起きた現場にまだ子供を通わせてる親の気持ちが分からない。全く理解できない。臨時休校にして、きちんと考える時間とゆとりを取って当然じゃないかと、思うのに。

 

 それにしても、学校って、なんだろうね。学校・給食・教師と聞くだけで私は未だに虫唾が走る。

 清水ちなみさんの「お父さんに言えないこと」に出てきた話。清水さんの親は教師なのだが、どうも話の合う人が、ほぼいつも「あなたの親も教師だったのオ?!」ということがあまりに多い、かつ、「あ〜大変だったわね、ジーン」となってしまう、ということに驚き、かつ怯えていらした。これは一体どういうことなのか?ある人は教師の親を称して「あの人は、学校を卒業してすぐ学校に就職した人だから、社会人じゃないです」と切り捨てていたそうだが。

 そういう連中のお気に召すように動くのは大変だ。「よい子」でなくちゃダメだから。そうそう、「教師が親」の子供は、学校でも家庭でも「よい子」を強制されてる、これはキツイですよ。でも、我々の世代は、結局どの子もそんな目に遭ってた。今は?今の子供は社会全体から「よい子」を強制されてるんじゃないの?「朝晩挨拶する」とかさ。「よい子」のイメージって滅茶苦茶貧しいけど。「よい子」=「(大人にとって)都合のよい子」なんだろうな。

 我々の頃の、あの気違いじみた「イジメ」は結局、そういう鬱屈のガス抜きだったんじゃないかな。今は?「イジメ」さえ許されないでしょ。

 だからさ、「不登校」なんか、当たり前だと思うのよ。学校は無法地帯、教師が生徒を殴る蹴る、はたまた強姦する、生徒同士が殺しあう(イジメ=心の殺人といっていいと思う。私に今でも残ってる負の影響が大きすぎることを考えてもそう思う)、そういうことが当たり前、こんな危険な場所にわざわざ好き好んで通わせる奴の気が知れない。
 中学時代は本当に暗黒だった。当時の教師、全員並べて殺してやりたい。遠藤、特におまえ!!!本橋もだな。散々殴りやがって、早死にしてくれ、苦しんで、とこうなる。どうしても「懐かしい」なんかにならない。おっかしいのは、当時、そういう暴力教師がなんと親から支持されてたんだよ。遠藤という教師の暴力沙汰を告発した家族は、周りから総スカンを食って、結局所沢にいられなくなってしまったんだもの。つまりまあ、当時の大人連中がこぞって大バカだったっつうことか。で、今、こういう連中の成れの果てが「おれおれ詐欺」に遭ってる訳よ、いい気味だぜ。

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