食事を食べ終えた後、一行は十三稜に向かった。郊外にあるレストランからさらに郊外に行くような感じ。北京も郊外に来ると西洋化された建物は減ってきて、まだまだ貧しい中国という感じだ。レンガ造りの貧しい建物。人々の肌は日で焼けてその生活ぶりも極めて貧しい印象を受ける。NHKなどでよく見る中国のイメージ。ただそんなところにもコカコーラのパラソルが村の飲食店にあるのを発見。観光客が入り込まないような場所にもコカコーラが。。。アメリカの文化というヤツは世界中を席巻しているなぁ。そんなことを思いながらも車はまっすぐ北に向かって突き進む。途中、長い石橋を渡った。一瞬、緊張が走る。「これがあの有名な盧溝橋か?!」運転手が突然怒りだし、クルマを止めたらどうしよう。そんなことを僕が考えているとはお構いなしにクルマは並木道をまっすぐ進む。両側が中国の農家だ。十三稜の周りは、果物特に桃が有名だそうで、北京の都会っこたちは休日になるとこういうところに来て自分で桃を取って食べるのだそうだ。都会はどこも同じだな。


世界遺産、十三稜』という文字が見えた。一行が向かっているのはその中でも一番大きな定稜というもの。周辺60キロくらいの場所に13個の墓があるということで一日で全部みるのは無理ということだった。明朝時代の王様は、全部で16人。このお墓を作った王様は変わった人で20代のうちにすでに自分のお墓をどうやって作るかが最大の関心事だったと言う。2代目の王様は幾恵不明。最後の王様は財政難?あと一人は忘れた。こんな内容をガイドの子は助手席に座って真後ろを向きながら喋り続ける。しかし、この子クビが痛くならないんだろうか。こう思っていたら、この仕事を続けているとみんな首が痛くなる。職業病ね。と言い出す。あぁやっぱりね。


13両に到着。正直、ここは今回のツアーで一番印象に残らない場所だった。感想としては日本の古墳はやはり大陸から伝わってきた技術を元に作られたのだなぁということ。もちろん明だから時代は1000年以上後だけど。チケットを女の子が買ってきて一緒に入る。「ここは門をくぐると涼しくなる、だから夏でも冷房いらない。」と言う。門をくぐる。「ね?涼しいでしょ?」ここの部分だけ聞くとまるで日本の女の子とデートにでも来ているみたいだ。普段ないことだからちょっと感動する。確かにほんのちょっとほんのちょっとだけだが、涼しくなった気がする。


ガイドの話しによると、発掘がはじまったのが1956年。一つのレンガが土中から見つかったことから始まったのだという。もともと「この辺にあるだろうということはわかっていた。」と女の子。

門があり、そこの門は帰りに通るようにすること。何でもこれから霊界に行くので、帰りにあの門を通らないと現世に戻れないのだそう。というわけで行きはここの門はくぐらず。

そのまま歩いていくと地下宮殿への入り口が見えてきた。ここで持ち物チェック。カメラも例外なくカゴに入れて空港の時と同じく検査機に通す。無事、チェックをした後、階段を下りて地下宮殿へ。


中は涼しいというより寒い。中に入れられていた宝物はすべて博物館に。置かれている棺もイミテーションである。中国のお金が投げ込まれていたが。


大理石で作られているため、中はひんやりとして冷たい。ちょうどこんな感じ。特筆すべきことは無かった気がする。



地下宮殿を見終わった後、景色が一望できるという見晴らしのよい場所に行く。が、薄い靄がかかり別の稜墓も見ることが出来なかった。写真を撮る?と言われたが取らず。代わりに石碑を取った。何でもこの門と石碑の真南に紫禁城天安門があるのだという。一直線。



階段を降り、今度は資料室に向かう。降りる途中、石垣が黒くなっている部分があった。何でも農民が反乱を起こしたときに焼けて出来た跡だという。何年ごろ?と聞くと1600年ごろと思い出しながら言う。豊臣秀吉が大陸に攻めていったのが明朝だからなぁと独り回想。


資料館では金で出来た宝物が展示されていた。「これな〜んだ?」とこちらを探るようにしてちょっとイジワルそうな顔をしてこの子は時々質問を投げかけてくるのだが、このときも金で出来た丸い物体の前で同じ質問をした。何だか想像もつかない。分からないと言うと「当ててみて?」とか言い出す(苦笑)。この子にも困ったものだ。ただ本当にわからん。お客さんもしているとか言う。一体何だろう??答えは何とボタン。純金で出来たボタンとは!ただの無駄だな。ここの資料室は金ばっか。これ全部キン?と聞くと、そう18金の金とか、妙に日本語に精通している。


他にはヒスイが展示されていた。昨日もヒスイ専門店に行ったなぁ。そんな高いものなのかなぁ。「わたしもつけている」聞いてみると何とガイドの子も手首にリングをつけていた。これはそんな高いものではない。日本円にすると7、8万円。けっこう高いな。このガイドの子もけっこう収入がいいのか??魔よけの意味があるそうだ。色が薄いものほどよく、昔はおばあさんからお母さん、さらに娘と代々引き継がれることによって色がだんだんと濃くなっていったのだそうだ。

それと結婚するときに着た衣装を見た。中国でも若いカップルはウェディングドレスを着たがる。でも、両親世代はそれを許さず昔ながらのこういった衣装を着せたがるのだそうだ。と言うようなことを「若い人、白いのを着たがる」「あぁ、ウェディングドレス・・。」「そうそうそう」「でも、おばあさん、お母さん、ダメっ」カタコトもいいところだが一生懸命ガイドしてくれるので良しとしよう。
ちなみに喜+喜→おめでたいの意味。喜の字が二人の衣装に書かれている。


この子ともだんだんと話すことがなくなってきてしまった。まぁ外国にきても社交的ではない人格は変わらず。この子も話題がないのが気になるらしく、「ツカレタ?」と聞いてくる有様。事実疲れてきたので「うん」と。帰り、車の中で「寝てれば?」と言ってくれた。


まぁでも完全に気を許せないわな、ここ中国だし。


駐車場に戻る途中、階段のところで綿みたいなのを現地のおばさんが燃やしている。上を見ると次から次へとその綿が降ってくる。実はこの綿みたいなの、故宮を見終わってバスを待っている最中(小鳥をカゴに入れておじさん達が無き自慢みたいなのをしていた場所)やヒスイ専門店にも気になっていた。僕は中国の空は汚いな、ゴミが飛んでいてと思っていた。ガイドの子に聞いてみると、あれは木の子という。あぁ、要は種子ね。あれから大きな木になるんだそうだ。



帰り道ではなぜかドラえもんクレヨンしんちゃん。それに携帯電話の話になった。
日本の携帯電話と違って中国では7万も8万もする。「日本の観光客、みんな、えぇーそんな高いんですか」。
「でもこの値段でしかないから買うしかない」「だから同じものを5年ぐらい使う。」なんだそうだ。見せてもらった。俺のよりいい機種。メーカーはNOKIA。女の子が「知ってる?」とここの部分だけいやに流暢な日本語で話しかけてくる。「いや知らな〜い」。NOKIA?どっかヨーロッパのじゃないの?「どこの国?」と聞くが自分が聞き取れなかったのか相手が言わないのかわからず。ただ「人口も少ない小さな国だけど凄い技術です」とその国をベタボメ。おいおい、日本の携帯電話会社は何をしているのよと思った。思えば確かに日本の携帯電話会社って外国で見ないな。韓国のLG電子の携帯の看板は北京のバス亭などいたるところで見るのにね。



「日本だとみんな本を買って読むでしょ?でも中国だとディスクで動きのある絵で見る。」「ドラえもん始めはあまり好きじゃなかったけど、子供の時から見ていて好きになった」「ドラえもん好き?おもしろい?」と聞くと「好きというより欲しいです」とか言い出す。まぁ一家に一台ドラえもん。欲しいよな。携帯メールの着信音にしているくらいだもん。


クレヨンしんちゃん。17歳から32歳くらいまでの人に人気。何でも彼女の一番上のお姉さんは32歳。彼女が一番末っ子なんだそうな。


「お客さんからもらった」と言って銀色のサイフを見せてくれた。いかにも若い子が好みそうなデザインである。「かわいいもの大好き」なのはどこの国の女の子でも同じか。



その後クルマは北京市内へ。道路が混みだし、それと同時にいろんなメーカーのクルマを見かけるようになった。一番見かけたのがVWのフォルックスワーゲン。本場ドイツはもちろんだが中国でも嫌に多い。ガイドの子は街中の4割くらいが日本車とか言っていたが、実際は2割程度に思えた。「ほらトヨタトヨタ」と言って横をトヨタのクルマが通り過ぎていく。お恥ずかしい話、クルマには疎くドイツに行くまでトヨタのマークを知らなかった。あの円形のマーク。日本車ではダントツにトヨタが多く、次にニッサン、ホンダの順で見かけた。


このままホテルに戻るのかと思ったら帰りに御茶屋さんによるという。大して興味もないんだけどな。と大して期待せずに行く。都を北から南へと抜けたある4車線くらいの道沿いに昔ながらの中国の住宅みたいなのが見えてきた。フートンとか言うらしい。タワーマンションに入っているのは庶民。金持ちはこういった場所に住むんだそうな。全部金持ちではなく、昔から住んでいる人もいるみたいだが。そのフートンが右脇に見えたちょっと先にすの御茶屋さんがあった。それほど大きくない、むしろ日本のお土産やさんとか喫茶店に近い感じ。どんどん奥まで連れて行かれ、茶道をここでご披露することに。あぁ、こりゃ買わざるを得ないなと思って覚悟を決めていたら、目の前に座っている女の人、かなり日本語が喋れる。何。でも日本に2回来たことがあるとかで、最近では2005年の愛知急迫のときに来たのだという。あとでガイドの子に聞くと英語フランス語日本語をしゃべる才女なのだという。どことなく今まであった中国人とは違って柔和な感じがした。ッ気が合いそうな感じがした。それを向こうも感じたようだ。


まずいろいろ御茶を入れてくれた。ジャスミン茶、プーアル茶、ウーロン茶、蘭貴人(ランキーチ)。この中でもっともおいしいと思ったのがプーアル茶である。疲れに効くというお茶である。始めは購入するつもりがなく、別にお茶屋さんなんかに立ち寄らなくてもいいのになと思っていた。しかし体が欲していたのか異様にウマイ。中国に来てからもっともおいしいものを食した感じだ。だからその場ですぐにこのお茶が買いたくなった。中国のお茶の作法はちょっち違い、ザルそばをのせるすのこみたいな上に急須と茶碗が乗っている。鮮やかな手つきの後、茶碗にお茶を注ぎふたをする。その後それを人差し指と薬指、さらに親指を使いひっくり返す。自分はこぼしてしまったが。そして匂いをかぎ、それを飲むという作法だ。初めての人だとこれを全部ガバっとこぼしてしまう人が多い、上手なほうと言われる。かなり流暢な日本語である。


その後、学生さん?と聞かれいや社会人。何歳?25.あのガイドのこと同じぐらい。あの子は大学生ぐらいな感じだけど。などと会話が続き。中国は何度目?何日の旅なの?と聞かれ4日間。けっこういい会社に勤めているでしょう?などとかなり日本人みたいな会話のやりとりが続く。この辺は大使館が多いの、アメリカ人、フランス人などいっぱい来るの。この店ではみんな日本語しゃべれるの?と聞くとううん、私だけ。結婚とかしないの?と聞かれたので、ううん、日本ではみんな結婚が遅いから。私も30で結婚したの。彼女はいるの?はい。彼女がいなければ私がいい人を紹介してあげようと思ったのよ。背は高いしハンサムだし。
中国はどう?愛知急迫のときに日本に行ったの。あの日本と中国が緊張したときがあっったでしょ。私、そのときに日本でTVを見ていて、中国は危険だから日本人はいかないほうがいいですと言っちゃったのね。でも実際におそるおそる中国に戻ってみたら何にもなかった。「中国怖くないよ」。あれはね、マスコミが中国の良くない部分だけをクローズアップして中国は怖い、中国は怖いと言うから。ぜんぜんフツーでしょ?と言われ、かなりこのどことなく気品があり人柄のよさそうなおばさんに好感を持った。だから中国を嫌いにならないでね。あなたが将来、中国と日本のかけはしとなる会社を作ってくださいと凄いことを言われる。



その後いろいろとお茶を勧められるが、疲れた体に本当にプーアル茶は効くようで。やたらオイシイオイシイを連発していたら、製品とは別にプーアル茶を5個手づかみでくれた。周りの店員の目を気にしてこっそりと。カバンの中にでもこっそりしまっておいてと。プーアル茶を5杯ぐらい飲んだ後、さてどうするみたいなことを言われ、プーアル茶とウーロン茶を買うことにした。いくらと聞くと150間とか200元とか。じゃこれにするというと、蘭貴人も勧めてくる。おかあさんにどう?冷え性、腰痛などに効くよ。と言われ。これはいくら?と効くとこれはちょっと他のより高い300元。全部で600元以上買ってくれた人に温度で変わるマグカップをプレゼント中。と言われ、まだ勧めて来るので、コレ全部でいくら?と聞くと600元なので。マグカップをもらった。実際にお湯を注ぎ一番気に入ったデザインのものをもらった。デザインは4種類。プーアル茶は箱に入っている。家族や会社の人に配るといったら茶筒をサービスしてくれた。5個までだって。それももらって帰る。裏面にお茶の入れ方が書いてあるけど何か日本語がおかしい。と思ったら、日本語なんかおかしいでしょ?と向こうも分かっていた。1個で2L。これは6年もの。プーアル茶は時間が経てば経つほどおいしくなる。逆に蘭貴人、ウーロン茶は3ヶ月以内に飲まないとダメ。熱いお湯を入れてッ冷やして冷蔵庫に入れて飲んでねと言われる。しかしこの人も日本語が異様にうまい。日本人のことがよくわかっている。


ここのお店、よく覚えておいて。と言わたが、レシートとかくれれば名前がわかったんだけどなーと思う。


その後、レジに行き600元を払う。ガイドの子と運ちゃんが座っている。サービス品として素焼きの小便小僧をくれた。何コレと言うと「やってみようか?」と言い入り口近くの別室に連れて行かれた。ヤカンで上から勢いよく水をそそぐとしょんべんがシャーっと前に飛び出た。言葉はわからないながらもその場はみんなで和む。これも誰にでもというわけではなさそうで、これもカバンのなかにこっそり入れておいてと言われる。


中国に来て、特に初日は気分が悪くなることが多かったんだけど、最後の最後であぁ中国に来てよかったと思った。車に乗ってからも、外にまで出てきてくれお辞儀をしてくれた。僕はおばさんとかに親切にされるのが弱いので窓を開け手を振った。向こうも手を振ってクルマは外に出た。社中で、ガイドがッガイドのこも何かお茶を買っていた。私も買っちゃったとか言って。


クルマは今度こそホテルに向かって直行。運転手も助手席の女の子も窓を開けている。別にいいんだけど、北京の空気は汚いんだよね。想定していたよりも自転車が少なく、その分自動車が劇的に増えていると感じた。だからか知らないけど大気汚染が凄い。万里の長城や郊外の十三稜なんかは別として都市部は凄い。街全体がスモッグで覆われ、まるで昭和30〜40年代の高度経済成長期の日本のようだ。その頃、生きていなかったが。窓を閉めてくれと言おうと思ったが、まぁ別に大丈夫かとそのまんま。ドイツに行ったときと同じで北京の町にはやたらとVWのマークつまりフォルックスワーゲンが多い。ガイドの子は日本車が通るたびにトヨタトヨタ!とか言って大体北京市を走る車の4割ほどが日本製ですと言っていたが、ぱっと見で2、3割程度なんじゃないか。あとは韓国の現代自動車、ベンツやVWなどの外車が多かった気がする。


クルマは天安門広場前を通過。この通りは広く片道5車線、5車線。さらにクルマ2車線分の専用の自転車道が両側に、さらに東京の銀座並みの完全に整備された歩道が両側についており、国土の違いを知った。吉野家イトーヨーカドーなんかもその通り沿いに発見す。


クルマの中でずっと考えていたことが。チップはどうしよう。100元はやりすぎだろう。すると50元と20元札しかない。女の子50元。運転手20元か。始めは運転だけしていた運転手も僕が運転手の真後ろの席に座ってからドアの開閉をしてくれるようになった。ホテル到着が19時頃か?運ちゃんが開閉してくれたのでチップとして20元を渡していた。センキューとか言って受け取ってくれましたよ。笑顔を見るのは2回目だ。その後、ロオビーに入る。女の子んい今日は一日どうもありがとう、どういたしましてみたいなやりとりが続き、イワエンのガイド代340間を請求された。そこでうっかりと50元札をつかっちゃったんだな。で、おつりの10間札をチップとして渡してしまい、ガイドの子の取り分が少ない結果になってしまった。相場がいくらかわからないが、50元くらいあげでもよかったのか??


でも、あまりチップを渡しすぎて相手が調子に乗ることもありうる。このぐらいでよかろう。御礼を言って分かれた後、女の子がついてくる。何かと思ったらトイレだった。場所を教えてあげ、今度こそ本当にバイバイ。ホテルのトイレはやはり街中のものよりキレイなのかもしれない。


で、部屋についてビックリしました。何かというと・・・・・。



何だ、この真っ黒な歯ブラシは・・!!



↑かばんの外ポケットに差し込んでおいた歯ブラシが真っ黒に!


元々ブラシの色はまっ透明。2日使ったとはいえ夜だけ。朝の状態とはまったく異なっていた。柄の部分と基本的には同じ色だったはず。ちなみに洗っても落ちません。


北京五輪でどこぞの国のマラソン選手が棄権したと聞いたが、なるほどなと思った。

その後ベビースターきのこの山を軽く食べ、風呂入って速攻で寝た。何せ、朝は4時半起き。