休職している職員を

異動させることは出来ない。
一年おけば同じ病気でも有給の病気休暇とれる。職員である限り何度でも可能
・同一の傷病の場合、完治していないと見なされ、たとえ一度復職しても復職前と後では合計2年間しか傷病手当金を需給出来ない。(2015/4/1より)
・2年目以降は無給休職なので、傷病手当金から税金と健康保険組合費を出さなければいけないので、手取りの額は大幅に減る。

・休職していても4月1日をまたげば、有給20日間もらえる。
・休職は最長3年。その間8割の給与。1年間は、マルぼもある。1ヶ月慣らして、また3年とか可能。労働組合から申請すれば見舞金が出る。1万+1万
・公務中に起こった災害ということで公務災害の制度が使える。ただし、公務災害と傷病手当金は同時に受けられない。どちらが高いかは現時点では不明。公務災害の場合、所属長を通さなければならず、職場での聞き取り調査を行われるので実際、難しい。精神の場合は半年ぐらい待たされるかも、と健康相談係は脅す。
⇒ということで公務災害だけにしておいたほうが良さそうだ。
・係長、課長にとっては、係から休職者を出すこと自体がマイナスにつながる。
・高額医療費の制度を使えば入院費は月4万程度。
・慈恵の食事は温かいものは温かく、冷たいものは冷たく出される。ホットプレートみたいなので加熱されている。
・若い看護婦が多い。入浴も手伝ってくれる


2012年11月頃、ウォッカを飲んで19時ごろ寝るという日々を過ごす。チャーチャンの墓参りに行き、やたら思い出す。
2012年12月頃、京都の化野寺で、中学時代のことを思い出し鬱モードに。缶チュウハイ飲むが憂さ消えず。
2013年2月頃、アパートに住めなくなり、実家に戻る。自分の部屋で落ち込んでいることが多くなる。父母大変に心配する。ひそかにレイキヒーリングを企てる。
2013年4月のある日、ベッドで寝ていると突然不安がワーっと出てきて廊下をピョンピョンウサギのごとく跳ねまわるという奇行に出る。自分で止まらず。どうしちゃったんだろうと思ったら母がレイキを頼んだとのこと。
小川のせせらぎのような音が脳内に鳴り響き、何者かに(潜在意識?)「お前はいつまで20年も前のことをグジュグジュ言っているのだ!今を生きろ!」みたいなことを言われ、「もう20年も前のことなのかー」と意識が1月ほど変わる。


グジュグジュ言わなくなる。
その翌日、いすに座っていると突然脳に電気ショックを帯びたような感じで床に倒れる。父母に助けられる。1階で寝ることになる。


2、3日休む。会社に行っても仕事は出来ていたらしい。ただ、羞恥心がなくなり休憩室で平気でおならをしていたりした。


母、体調悪化。


9月ごろ、職場の高橋さんから昼のランチに誘われ、心配される。


組織に潰されない生き方を目指す。